生死を自分で決めれない(正しい絶望シリーズVol.4)

生死を自分で決めれない(正しい絶望シリーズVol.4)

この体が自分だと思い込み
生きることがいかに悲惨で残酷で屈辱なのか
77億人に共通する、人類に共通する絶望
それが「正しい絶望」
私たちは中途半端な絶望を終わりにさせ
正しい絶望からの究極の希望へ
向かわないといけない

中途半端な絶望と正しい絶望

人類は中途半端な絶望しかしてこなかった
中途半端な絶望とは
「なんで私にこんなことが起こってしまったのか」
というように「自分だけの絶望」にとどまること

正しい絶望とは一体なんなのか?
「体人間で生きることがいかに悲惨で残酷で屈辱なのか」
77億人、人類共通の絶望のことを言う
体が自分だと思い生きる人生は
いかに意味がないことなのか
突き詰めるほど人生が意味がないことがわかる

中途半端な絶望だからこそ
中途半端な希望にしか行けない
中途半端な希望なので、またすぐに絶望するのだ

正しく絶望することは
究極の希望に行ける
もう二度と絶望にいかないのが究極の希望だ

正しい絶望を深める

今までも正しい絶望シリーズを書いてきました
http://kumakurakeiko.com/2021/05/21/nohjesu-6/
http://kumakurakeiko.com/2021/05/29/nohjesu-7/
http://kumakurakeiko.com/2021/05/30/nohjesu-8/

今回は
「生死を自分で決めれない」ということ

自分の人生だったら自分で生死も決めることができる
しかし人間は自分の生死を統制できないですよね
いつ死ぬかわからない
生まれたくないのに生まれてしまった
死にたいけど死ねない
生きたくないのに生きなければならない
病気になってしまったから
事故になってしまったから
死にたくないのに死なないといけない

生や死にとらわれ恐怖し
いつも生老病死の恐怖で生きているのです

生死の設計図を持ってるわけでなく
自分の意図せず偶然死んでしまうのです

このように
生死を統制できないのにも関わらず
どうして「自分の人生だ」と言えるのでしょうか?

それは自分の人生ではなく
生死に支配された奴隷だと言えるのです

自分で生死も統制できない
コントロールされる人生
その人生に意味があるのでしょうか?

生も死もない!

体人間は生死にとらわれ恐怖するが
生もない死もない境地だからこそ
生も死もとらわれません
そして、今ここで自分と自分の宇宙を
生滅させる凄すぎる主体が本当の自分でもあります
今ここすっきりワクワクの心の状態から
自らが起こす事件の設計図を持って
自分の死に方も自分で決めれる境地が可能なのです

生も死も活用する
それが真の自分の境地です

そして生死を超えた勝負をしたのが
本来の日本でもあります
自分の命以上に大切な精神を持ち
死に方勝負をしたのが日本の侍精神

私たちの先人は命をかけて勝負をした
白人優越主義で世界が白人に支配されていたところから
人類の尊厳を取り戻そうとしたのです

私たち日本が生死にとらわれない
生死を超えて命以上に大事な精神を持つ時に
生死を活用する勝負ができるでしょう

正しい絶望と究極の希望を語る nTech創始者Noh Jesu氏の情報!

■nTech 創始者 NohJesuさんのブログ
https://blog.noh-jesu.com/
■NohJesuさんYouTube
https://www.youtube.com/channel/UCrXLVxQvdk7vCY2G7ino5vg

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