令和哲学の凄まじさ

令和哲学の凄まじさ

令和哲学がやばすぎる。今までの西洋哲学の限界、そしてニーチェの深い解析、全ての学術、宗教、文明が何が限界だったのかを、たったの1時間半で綺麗に説明。

ニーチェは今まで全然追求したことなかった。Nohさんの解析を聞き、ニーチェの凄さと涙を感じました。ニーチェといえば、「神は死んだ」これは、2000年間の全ての意味価値を破壊することとつながる。虚無主義をどうしたらいいのか。三段階(砂漠のラクダ・ライオン・遊ぶ子供)を通過し、「Uber mensch(人間を超える)」=心になれと。アモールファイティ(自分の運命を愛しなさい)と唱えた。しかし、ニーチェの最後は、鞭打たれる馬を抱きしめ涙し、その後精神崩壊が起こる。

なぜ、彼は馬のエピソードで精神が崩壊し、体もおかしくなり、10年間家族のお世話になり早くに命を落としたのか。

Nohさんの解析は、ニーチェは「Uber mensch(人間を超える)」になれ!と唱えた。しかし簡単じゃ無いことをたくさん見た。彼は自分の哲学に自分がやられてしまった。人間はUber menschになれない。実践できない。コピーできない。ニーチェの涙を感じた。

ニーチェは瓶の外の歓喜状態になった。しかしいつも歓喜状態ではなかった。1をDefineできなかったから。

その後、Noh先生への質疑応答で、令和哲学の凄まじさを実感した。

今までの哲学、科学、宗教、全ての学術の限界。それは瓶の外の世界、1をDefineできなかった。1をDefineできないから、数学者は数を説明できない。物理学者は物質を説明できない。心理学者は心を説明できない。人間学者は人間を説明できない。

ニーチェが神を一刀両断したように、令和哲学は、時間も無い・空間も無い・存在も無い・エネルギーも無い・全てを一刀両断し、源泉的動き1(0=∞=1)だけがある。その1をDefineできることの凄まじさ。

令和哲学者を語ることがどれだけ覚悟と決断が必要なのか。

その令和哲学者のNoh先生は、教育革命は日本から。心を語るのは日本から。と語る。日本は美しい文明をつくりたい意志そのもの。原爆二個も落としたアメリカを恨まず、愛し尊敬する心は日本の宝。日本は無意識で、ゲームだとわかっている。世界を統一するのは日本だとわかっている。

AI時代、体がチップ化される今、本当に私たち日本は哲学が必要。体に執着すると馬鹿になる。令和哲学と出会った日本。世界の教育革命を起こし、本来の人間に戻り、世界に希望を与えることになることを切に願う。

1000人の侍の結集から始まる。