令和哲学カフェ#18

今日の令和哲学カフェ(6月18日 第18回)、テーマ「尊厳」の3日目でした^^!
今回は、令和哲学者ノジェスさんから、尊厳を理解するために、今までの「美学・哲学/観点」の理解からおさらいしてくれました。
科学技術の時代が終わろうとしています。今からその後の時代の準備をする必要があると思いました。
科学技術は、認識対象の開発。哲学は、認識主体の啓発。
私たちは、今まで「自分の体=認識主体」で、それ以外を認識対象だと思っていましたが、カントの登場により「認識形式(観点)」の概念が取り入れられ、実は、「自分含め自分の宇宙全てが認識対象になる」とのことでした。
認識主体と認識形式(観点)が出会って、認識対象が生まれる。私たちが見た瞬間、認識画面が生まれる。見る前は、波の性質を持っている。
このお話は、令和哲学カフェで何度も聞いていますが、毎回理解が深まります!
私たちは瓶の中に閉じ込められてる鳥のように、この世界があると思い、閉じ込められています。瓶の外に出て、瓶の中の仕組みが観えることで「尊厳」が可能だということでした。
「尊厳死」という言葉がありますが、人工呼吸器をつけて、自らの意思で呼吸ができない状態ですが、人工呼吸器を外すことは犯罪になり、日本は「尊厳死」を認められていません。
そして「私たちは精神が人工呼吸器に繋がれてる」と言うコメントが、とても衝撃的でした。
私たちは自らの意思で生きてなく、いわば瓶の中の鳥のように小さい世界に閉じ込められてると言えます。本当の認識主体と一つになることが、「尊厳そのもの」の生き方であるということ。
そして、その生き方をできる人どうして、尊厳関係が築けると言うことでした。
WHTと言うコミュニケーションワークでは、「尊厳関係の絶対条件とは?」「なぜそう思うのか?」と言う深い質問で、コミュニケーションが行われていきました。
最後、「尊厳は実在するのか?」と言う問いから、
参加者の中で、
「模様・形があること=実在する」と言う考えと、
「模様・形がないこと=実在する」と言う意見に別れました。
この二つの意見が、形而上学とポストモダニズムの意見の違いにもなるそうです。
「模様・形があること=実在でしょうか?」
「模様・形がないこと=実在でしょうか?」
「この二つをイコールにさせるのが実在でしょうか?」
尊厳関係は、尊厳をお互いに認識しないと不可能です。そして、今までの人類歴史はお互いに尊厳を認識することができませんでした。
今までの人類歴史をみても、今の時代をみても、本当に尊厳が喪失され、方向性が見えない状態になっています。「尊厳」が当たり前に、一般常識になること、今まで人類が不可能だったことですが、この令和哲学カフェから可能になるのではないかと希望を感じています。
たった1つの小さな令和哲学カフェが時代を変える。
そんな偉大なストーリーをあなたと一緒につくりたい。
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