令和哲学カフェ#12

今日、令和哲学カフェ#12に参加してきました。
昨日が、めちゃくちゃカオスで大パニックで終わったので、本当にモヤモヤだったのですが
↓
昨日の大パニックがどういうことだったのかを、めちゃくちゃ分かりやすく中継のように整理してくれて、めちゃくちゃスッキリしました!!
騙す・騙されるも、令和哲学からしたら、この世界は全て騙される世界。
私たちは、目に騙される、耳に騙される、言葉に騙される、感情に騙される。
全てに騙されている。そもそもこの現実世界はスクリーンの中。全て錯覚。脳に騙されている。
初めて聞く人は、「何のこっちゃ?」と思うかもしれませんが、実はこの世界は観点によって生み出されるスクリーンの世界なんですね^^
観点から自由になって、全てを解析できる「解析の主体」になった時に、「騙す・騙されるゲーム」を楽しめるのだと思いました^^
そして、今日は、「質問道場」の日でした^^
質問の質の高さがすごい!!
Q:カントは経験しなくてもわかる理性と人間が経験した知識の2つを制圧したけど令和哲学でいう「0=∞=1」を発見できなかったのはなぜなんでしょうか?
その質問に対して、Noh先生の回答は、「カントは人間と人間の宇宙が実在する中で、認識形式を発見した」と言うことでした。認識形式の外の世界も何かあるということを発見はしていたそうですが、そのカントも「1だけがある」ことを言い切れず、9段階の禅定の中の、8段階目(非想非非想)ということでした。(カントがどの段階なのか?を測れるってすごすぎる!!)
令和哲学は、Nohさんが福岡で間の動きを観たことで、観点の外の0=∞=1を発見してるので、観点の外の「解析の主体」から観察するのが当たり前なので、ここまで難解なカントの観点と、限界までも語れるんですね!
そして、カントは、現実から出発したのにも関わらず、「認識形式」まで発見し、その外の世界までも少し見て、本当にすごいと思いました!
私も、思い込みの主体でなく、解析の主体からいつも出発して、「騙す・騙されるゲーム」を楽しみたいと思います✨
毎回多くの気づきをくれる令和哲学カフェが大好きです☺️
また明日も楽しみです^^
明日から開催!『LUNCH QUESTION』

-
前の記事
令和哲学カフェ#11 2020.06.08
-
次の記事
令和哲学カフェ#13 2020.06.10